はじめに
当流のいけばなは、宮門跡(みやもんぜき)として知られる京都・大原三千院を源としています。
三千院は、平安時代に僧最澄(さいちょう)によって開設された天台宗の院ですが、堀川天皇の第二皇子最雲法親王(さいうんほっしんのう)の入山以後、皇族が住侍となっていました。三千院には創建以来、本尊に供える三具足(みつぐそく:香炉・瓶・燭台)のしつらいが伝承されています。瓶には「たて花」(立華以前のスタイル)が立てられますが、仏前の供花であるために院内にとどめられています。このはなとは別に、院内の居住空間には「抛入花(なげいればな)」(投入花)がいけられ、四季の風情が賞玩されてきました。
花をいける。花のいのちを尊び、一瓶の花に思いを表わすというコンセプトが今日まで長きにわたって継承されているのです。当流の中興の祖(六世)常修院宮(じょうしゅういんのみや)は、江戸時代前期の公家文化サロンの中心的な存在でした。六世は、いけばなを好んだ直門一実院慈渓(いちじついんじけい:七世)に梶井宮慈渓御流という流名を与え、新都市江戸へ出向かせました。七世が江戸で抛入花をもっていけばなを広めるべく活動を始めたのが流派としての嚆矢となります。
当流はのちに、江戸後期に成立した「生花」スタイルをとり入れました。この式正(しきしょう)の格をもった生花に、先人は新たな美を工夫して独自の花型を創りました。以来、当流の中核的な古典花として今日に継承されています。現在ではこの他にも、現代花として投入花と盛花、先代二十世が新たに加えた現代に対応する近代生花を継承しております。



梶井宮御流年表
年代 | 和暦 | 西暦 | 歴代 | 事柄 |
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室町 | 開祖 | 威徳王院一品真智法親王(三千院第三十八世・天台座主 堯胤法親王弟)、号慈月園。御家元古流と称す | ||
二世 | 後菩提院二品彦胤法親王 | |||
安土 | 三世 | 大雄院二品応胤法親王 | ||
四世 | 円妙院二品最胤法親王 | |||
江戸 | 五世 | 実性院二品承快法親王 | ||
寛永6年 | 1629 | 六世 | 常修院二品慈胤法親王(元和3~元禄12)、中興の祖、号松翁館。後陽成天皇の15皇子。江戸時代前期の公家文化サロンの中心的存在で、天台座主は3度に及ぶ。 | |
七世 | 一実院慈渓師。六世の門人、号松雨軒。六世の命により梶井宮慈渓御流として江戸に下り、いけばなを広める。 | |||
八世 | 蓮空坊慈訣慧俊法橋、号泉龍寺。家元を継承 | |||
貞享元年 | 1684 | 浅草本願寺御堂に献花、以後恒例となる | ||
元禄8年 | 1695 | 『梅花伝』を著わす | ||
宝永元年 | 1704 | 九世 | 松谷庵慈空、家元を継承 | |
享保8年 | 1723 | 十世 | 遊松庵南枝、家元を継承 | |
延享4年 | 1747 | 十一世 | 対当庵慈詮、家元を継承 | |
宝暦4年 | 1754 | 十二世 | 岩井忠恕、家元を継承 | |
宝暦11年 | 1761 | 十三世 | 月休庵了覚、家元を継承 | |
明和3年 | 1766 | 十四世 | 梅軒雪朝、家元を継承 | |
寛政9年 | 1797 | 十五世 | 慈松軒清雅、家元を継承。この頃、春秋軒一葉の門人と関わり、遠州系の生花スタイルを流儀花として採りいれる。 | |
寛政12年 | 1800 | 十六世 | 栄松軒素行、家元を継承 | |
文政7年 | 1824 | 十七世 | 一松斎素翁法眼、家元を継承 | |
文久3年 | 1863 | 中興の祖 六世 常修院宮御遠忌追福花展を両国萬八樓にて開催する | ||
明治 | 明治3年 | 1870 | 兵部省の命により、東京華道協和会の各流に呼びかけて明治維新御用献華の会を催す。出瓶数414瓶。 | |
明治40年 | 1907 | 十八世 | 一松斎藤原素朝、家元を継承 | |
明治41年 | 1908 | 三千院門跡の許可により、流名を梶井宮御流と改称する | ||
明治42年 | 1909 | 『活華千代の松』三巻を訂正増補し発刊する | ||
明治43年 | 1910 | 宮内省の命により、来朝した清国大使載貝振に当流のいけばなを供覧する。同年、同じく印度パロダ国王・王妃・王女にいけばなを供覧する。 | ||
大正 | 大正元年 | 1912 | 明治天皇御大喪参列のため来朝した各国皇族の宿舎芝離宮にいけばなをいける | |
大正7年 | 1918 | 上野・東叡山寛永寺において、流祖ならびに先代一松斎素翁の大法要を全国の教授者と共に営む | ||
大正11年 | 1922 | 京都三千院門跡仮宸殿で行われた明治天皇御十周年聖忌御懺法講に奉修する | ||
大正12年 | 1923 | 関東大震災で羅災し、流派の貴重な文献・資料・花器など焼失する | ||
昭和 | 昭和4年 | 1929 | 十九世 | 一松斎藤原素朝、家元を継承襲名する |
昭和35年 | 1960 | 二十世 | 7月 一松斎藤原素朝、家元を継承襲名する | |
複雑になっていた花型を統一する。伝承の生花に時代に対応した「近代生花」を創案、加える。流歌を制定する(作詞:三浦徳太郎、作曲:内田勝人)。 | ||||
平成 | 平成16年 | 2004 | 二十一世 | 8月 一松斎藤原素朝、家元を継承襲名する |
平成17年 | 2005 | 3月 家元継承襲名記念展を開催する(横浜・三溪園) | ||
5月 三千院にて御懺法講に奉修する(以後毎年) | ||||
11月 「梶井宮御流」の商標登録をする | ||||
平成18年 | 2006 | 10月 三千院円融蔵落慶記念「一瓶心華」藤原素朝展(京都・三千院)を開催する | ||
平成19年 | 2007 | 11月 個展 会津本郷焼「宗像窯の器にいける」(福島・Gallery bratto)を開催する |